ボン君の成長記録(2才7ヶ月から2才9ヶ月まで)

 

 

毎年恒例にされてしまった義家族との旅行、、、。今年は里帰りと重なるので参加しなくてもいいぞ、と思ったらしっかり全メンバー参加強制。泣く泣く行き、旅行の帰路で私は体調を壊す始末、、、。まあ、息子がいとこたちと楽しく遊べたので良しとしとこう。

2歳7か月で、近所のシュピールグルッペ(慣らし保育)に入れた。週2回、午前中の2時間半なのだが、もうこの時間は私だけのもの。鮒子のように息子を送り届け、鮒子のように帰り、やりたい事をして(勿論家事なんてしない、私だけの為になること)過ごした。

私のように、活発すぎる子供を持ってしまうとこういう時間は本当に必要だ。母親の体力、精神力の復活に、、、。しかも昼寝もしなくなったのだから、ノンストップで体力と神経をすり減らす。でも、こういう息子が誇らしいのは事実。それなりに悩みがあるのも事実だけれど、おとなしい子を持っているお母さんたちは”道ばたで挨拶してもらっても、私にひっついちゃって可愛くないのー”と言ってるし、活発でも、おとなしくてもみんな良い所、困った所がある人間なんだなあと思ってしまう。

本当に育児は深い。

シュピールグルッペに入れて良かったと思っているのは私だけの様で、息子は彼なりにストレスを感じていたようだ(一応、まだおむつは外れていなかったので”おしっこ行きたいです”ではなく”お水下さい”という言葉だけは教えてはおいた。)。初日の次の日、朝ご飯のヨーグルト、バナナなど見事に1リットルほど吐いてしまった。風邪だろうか?とも思ったけれど、ぐったりはしていないのでストレスだったのだろう。次から次へと逆流して口から出てくるものに戸惑いながら”??何これー??”と言っている息子がちょっといじましかった。

簡単な迷路の線引きの様なものを好んでしたり、導いて助けてやれば簡単なパズルも楽しそうにしたりした。そして40ピース程なら、2、3回したあとでもうどれが何処に収まるのか分かって一人で出来たりもした。若い細胞はいい。→→

男の子っぽい遊びといえば、居間の椅子を繋げたりしてトンネルを作ってその下をくぐったりとダイナミックになって来た。

シュピールグルッペからの輸入物もどんどんある。
Nei,mini!(ダメ、ぼくの)→→miisと言いたいのだろう。
Isch guaet?(だいじょうぶ?)
Guaetae Morgae(おはよー)
などなどスイスジャーマンがどんどん彼のボキャブラリーに入って来てこれまたフレッシュな脳みそに羨ましい限り。

彼なりのストレスだったのか、それとも季節の変わり目だったからか、咳がずっと続いていたのだが、これも治った所で、そして10か月ぶりに里帰り出来るぞ、という所でなんと主人が入院と相成った。最初は施術で大丈夫、その後何もなければ飛行機に乗れると言う事だったけれど、施術ではうまく行かなくて、しかもその際の医療ミスで主人の容態も急変し、開腹手術となった。医者も病院も信じられない状態だったが、それでも託さないと主人は死ぬわけだから、複雑な心境で手術室の前で主人に手を振った。

結局その5時間後にまた面会出来たけれど、その間私は、どう荷物をまとめて、手続きをして日本に引き上げたらよいかを考えていた。息子はというと手術病棟前を行ったり来たりで、暇を持て余し気味。そこにたまたまいた、奥さんが朝から10時間近くの手術中で、もうそろそろ終わるはずと待っていたおじさんに遊んでもらってご機嫌の様子。その男性も心配で仕方なかったはずなのに、心の余裕がなかった私に変わって息子と遊んでくれ、本当に人間の暖かさを感じた。

その後2週間の入院となったのだが、息子は息子で毎日午後、パパとずっといられる事が嬉しかったようだ。主人もはじめはなかなか体を動かせず、抱っこしてやれないのが本当に悔しかったようだけれど、午後の面会を心待ちにしていたようだ。
その間も、息子は50ピースぐらいのパズルをせっせと病棟ではめ込み、パパを驚かせていた。そして、たまたま子供に寛大な看護婦さん達だったので良かったけれど、主人のいた階を行ったり来たりと忙しく、また入院していたおじいちゃん、おばあちゃんたちにも可愛がられ、あっちからクッキー、こっちからジュースとすっかりご機嫌だった。

まあ彼も、車いすのおじいちゃんを押してあげたりと、彼なりにいろんな人がいるのを知ったのではないかな?と思う。

細かい事が気になるのか、興味の範囲が広がったのか、自分のうんちを見たがったり、信号待ちで私が”青になったら教えてねー”と言ったら”えー???みどりでしょー!?”等と言うようになった。

体重:15キロ  身長:93センチ (2才7ヶ月)



26/08/03