ボン君の成長記録(3才10か月から4才まで)

 

 

季節も良くなってきたこの頃、息子と市内の朝市に行ったり、昼ご飯をテラスでピクニックのように食べたりと色々楽しんだ。

毎年恒例の義家族一家総出旅行もあり、私はストレスで今回は口内炎、歯槽のう漏とまたまた散々だった。でも、息子の為と思って我慢した。私の母親が義家族とうまく行っていない人で、私がいとこと仲良く遊んでいたりすると”なんで嬉しそうに遊んでるん?お母さんはおばあちゃんやおばちゃんに苛められてきたんやで。”と言って仲良くするのが罪なような言い方をする人だったので、息子には絶対口が割けても夫の家族のネガティブな事は言わないでおこうと決めている。だからこういう所や友人に発散しているのだが。
とにもかくにも息子はいとこ達とたくさん遊んで、いっぱい甘やかしてもらって楽しんだようだ。

皮膚のトラブルがまた発生。今回は水イボ。お腹右半分に17ー18個、右ひじの内側に3ー4個。 小児科医によると、恐らくプールで移ったのだろう。子供同士で移るか大人からもらうか。大人が子供からもらう事はまずない。そのためもうすぐプールの季節だが治るまでプールはダメ、との事。
日本だと、プールで移る、移らないで意見が別れているようだし、放っておくか、イボを削ぎ取るかでも別れているようだ。ただ8割がたは2年以内に自然治癒するとの事だった。
小児科医は、”あまり効果があるとは確信していないんだけれども、、、”とハーブのチンキと消毒液を処方した。とにかくこれを塗りながら経過観察しかない。まあ悪性のものではないし、プールを避ければシュピールグルッペに行っても問題ないとの事だった。

待望の、というかちょうどいいだろうとこの頃まで待っていたのだが二人目を妊娠した。ところが息子の時よりもひどい悪阻で、吐き気も口の中の不快感も一日中で、体力が元々ない所にすぐ疲れやすくなり、息子とはなかなか遊んであげられなくてゴロゴロしてばかりいた。
だからかどうか、この頃からやけに夫が育児に積極的になる。息子も大きくなって、一緒に遊んでもすぐ反応があるのが面白いのだろうか?一緒に自転車で(夫は後ろから追いかけるのだが)出かけたり、買い物を二人でして来てくれたりと甘え下手な私も、たくさん楽をさせてもらった。

しかし3人で赤ちゃんの誕生を楽しみにしていたのに流産という結果になってしまった。いわゆる稽留流産だったので、入院して全身麻酔にて手術の上で胎児を掻爬してもらった。かなり落ち込んで、医師には、これは”自然”がした事なの、と言われたけれど、そして自分でも理解していたけれど、やっぱり、あの時のストレスだろうか、あの重い荷物だろうか?と悶々としていた。
だが、実際の所、流産に関しての検診や、入院で息子を誰に預かってもらおうかとかそういう現実の事に振り回されていたので、気はいくらか紛れた。こういう時に助けてくれる人を持てて幸せだと感じた。

前からずっと悩んでいた日本人ママ、子供の集まりだがこの頃、図らずも時を同じくして辞めた。 やはり私は、何かに属すというより、親子共々、友人関係もそうだが、気の合う仲間同士で会うのが合っている。すぐに無理をしてしまうのは本当に止めたいといつも思っているのだが。ストレスともバイバイとなり楽になった。自分の子供の事をネガティブに見る人がいるというのはとっても辛いものだ。

ある日息子が”パ○パースして寝なくても大丈夫”と言った。3才10か月頃の事だった。そしてその日から唯の一度も夜中にお漏らしをした事はない。数回、明け方にまどろみの中でチョロッとおしっこが出てしまい、それがたまたま上手に布団に命中して洗濯要、という事はあったけれど。私が、5、6歳になっても紙おむつはするのだろう、と全く夜のおむつはずしの事をしようとも思っていなかったのがよかったのかもしれない。育児って矛盾が多い。

育児の矛盾といえば、いつもべったりとくっついていたいと思うと、ついつい”これはこうでしょ、ほれ、早く”と口を出してしまうし、放っておくと息子の方がべたべたくっついて来るし、、、。でもどちらかというと私は、自分のしたい事ばっかりして”ちょっと待って、あとで。”“今忙しい、うるさい”と言ってばかりいる母親だ。息子もそれは感じているのだろう、ある日、朝起きたらゲロゲロと吐いてしまう時があった。私の勘でこれは彼がストレスを感じているからだと思った。息子がそうならないと私は気付かないのだろうか?あきれてしまう。
このあとすぐ3人で旅行したのだが、いつもなら私は本を数冊掲えて行くのだが、この時は何にも持たず彼とずっと、彼のしたいように過ごそうと思った。”どうして〜なのー?”攻撃の始まっていた息子の質問に一日中答える日々であった。

息子が3才9ヶ月を過ぎた頃から2か月ほどテレビのない日々だった。13年ほど経った古いテレビがとうとう壊れたからなのだが、夫も、近付くサッカーヨーロッパ選手権に未練も見せず”丁度いい、彼にも僕達にもいい“と喜んだ。(といっても私も小さい頃テレビのない時期があったのであまりテレビは見ないのだけれど、、、)
テレビやビデオにお守をさせていた事もままあったのでこの時期のお陰で息子もさらに創造性のある遊びをするようになった。

そしてとうとう、毎年本当に?と信じられないのだが、本当にとうとう誕生日が来て4才となった。 誕生日に義両親、小姑(夫の次姉)とお昼を一緒に食べた。義父と会うのがそして、小姑と会うのが本当に嫌な私は、当日目覚めると文字どおり目が回ってしまい、すごい吐き気を感じた。それを我慢しながら彼等に会った。本当にいや。
だが、とにもかくにもお誕生日おめでとう。

4歳   17キロ  104センチ 

 

08/09/04